漢字検定の「アホらしさ」について

先日、近くのブックオフの100円・200円均一の棚に、漢字検定準1級の問題集が何冊かあったので、購入しました。

 

何年か前に、テレビ朝日のクイズ番組『Qさま!!』で多くの芸能人が漢字検定を受けていましたが、その頃が「漢字ブーム」のピークだったのではないかと記憶しています。2009年に日本漢字検定協会の資産を理事長が私的に流用していたことがニュースになったこともありましたが、「漢字ブーム」の熱がこれによって冷めることもなく、現在でも根強いものがあるように思います。

 

協会の体質のことはさておき、漢字検定そのものに対して不信感を抱く向きもあるようで、そうした発言の中でしばしば言及されているのが、中国文学の研究者として知られる高島俊男の書いた、「漢字検定のアホらしさ」というエッセイです。その辛辣な批判を引用してみましょう。

 

お言葉ですが…〈別巻3〉漢字検定のアホらしさ

お言葉ですが…〈別巻3〉漢字検定のアホらしさ

 

 

 実際にどんな問題が出るのか、問題集を買ってきて、出版社の編集者といっしょにやってみた。
 あきれかえるほどのひどい問題ぞろいで、問題を作った人の程度の低さがよくわかる。ついでに、こんな愚問ぞろいの検定試験を受けて、できたのできなかったのと一喜一憂している人の程度の低さもわかる*1

 

高島はいくつもの例をあげながら漢検の問題のおかしさをこき下ろしていますが、そうした「アホらしさ」の生まれる原因を、次のように指摘しています。

 

 二級までは、「解答には、常用漢字旧字体や表外漢字および常用漢字音訓表以外の読みを使ってはいけない」というワクをはめてあるから、教科書なり学習参考書なりを見て適当なところをひっこぬいて、「次の漢字をひらがなで記せ」とか「次のカタカナ部分を漢字に直せ」とか問題にすればよい。
 準一級、一級になると、急に右のワクがはずれる。そうすると、問題の作り手の教養のなさ、常識のなさ、つまりは程度の低さが露呈する。漢和辞典や漢字漢文の本から、なるべくむずかしげな、自分にもわからない字やことばを拾って問題にするのだろうが、その問題がまったく無系統で断片的である。字やことばの持つ雰囲気、気分、使いどころなどを知らないから、奇妙キテレツな文章ができる*2

 

こう述べた上で、「こんな試験を受けるほうこそ災難である。もっとも好きこのんで受けるのだから手の施しようがないが」*3と嘆いています。

 

私には、高島に指摘されていることの妥当性を判定することなどとうてい不可能なのですが、このエッセイが収録されている『お言葉ですが…』シリーズを読んでその著者の学識の深さには常々敬服しているので、彼がそう言うのであればきっとその通りに違いないと思っています。

 

ところで、以前これによく似た批判を目にしたことがあるなと思い、記憶の糸をたぐってみたところ、酒井邦秀による受験英語・学校英語に対する批判だったと思い当たりました。

 

どうして英語が使えない?―「学校英語」につける薬 (ちくま学芸文庫)

どうして英語が使えない?―「学校英語」につける薬 (ちくま学芸文庫)

 

 

酒井がとくに激しい言葉で批判しているのは、鈴木長十と伊藤和夫によって書かれた『基本英文700選』(駿台文庫)です。著名なこの本に対して酒井は、「その奇妙奇天烈なこと、まさに天下の奇書と言っていいでしょう」*4といった調子で、こちらも高島に負けず辛辣な言葉を連ねています。

 

酒井は、この本に収録されている英文について、「一応文法的には正しい文章がほとんどです」*5としながらも、「しかし、文法さえ正しければ自然な英語になるかというと、そうはいきません」*6と言って、具体的な例を引きながら、「文法的に正しいということがどんなにむなしいものか」*7を指摘しています。

 

酒井は「二人〔『700選』の著者である鈴木と伊藤を指す―引用者〕ののんきさを示す特徴の一つは、文の調子をまったく理解していないことです。『700選』は、友だちと話しているときのくだけた調子も、法律や学術論文の固い調子も、まったく区別していないのです」*8と前置きしてから、次のような例文をやり玉に挙げています。

 

新・基本英文700選 (駿台受験シリーズ)

新・基本英文700選 (駿台受験シリーズ)

 

 

448. The paint on the seat on which you are sitting is still wet.
 君が座っている椅子のペンキはまだ塗りたてだよ*9.

 

この文に対する酒井の批判は次のようなものです。

 

 これはもう笑うしかないでしょう。訳はたしかに会話なのですが、英文はいやにもったいぶってon whichなどという、こんな状況では絶対に出てくるはずのない堅苦しい言い方が使ってあります。
 古くさいドタバタ喜劇のセリフにはあるかもしれません。「ペンキ塗りたてですよ」と注意するだけなのに、わざと時間をかけて持ってまわった言い方をして笑わせようというわけです*10

 

ここでも私自身は、酒井が理解しているのと同じレヴェルで、この英文の不自然さを理解しているわけではありませんが、きっと彼が述べている通りなのだろうと考えています。ただ、学校英語や受験英語を排することが、本当に日本人の英語力の向上につながるのか、自信をもって判断することができません。

 

もちろん私も、英語の教科書や参考書の文章がなるべく自然な英文であってほしいと願っています。だから、酒井が指摘するような不自然さがあるのだとすれば、著者や出版社はそうした英文をより自然なものに替えていくよう努力するべきだと思います。

 

ただ、あえて極端な例を挙げますが、初歩の英文法を学んでいる人にとっては、「This is a pen.」という英語が使われる状況はほとんどない、といったようなことは、あまり気にする必要はないように思います。このレヴェルの学習者にとって大切なのは、be動詞がis、am、areと変化するということを覚えることなのであって、例文の自然さといったようなことに気を配るのは、それほど優先順位の高い事柄とも思えません。

 

私自身の英語の能力はまったく未熟ではありますが、いつかは酒井が論じているような、状況に対して適切な英語表現を身につけたいと願っています。だから、私などよりずっと英語の学習が進んだレヴェルの人たちが、例文の自然さを気にすることには、十分な理由があると考えています。

 

そして、これと同じことが漢字検定についても言えるのではないかと思うのです。たとえば高島は、「列車が方に出発するところだった。」という問題を取り上げて、次のように批判しています。

 

 漢文に「方」が出てくれば、前後の文脈によって「マサニ」と訓読するばあいがある。しかし日本語の現代口語文で、「列車がまさに出発するところ」を「方に出発するところ」と書くことはない。言葉にも文字にも使いどころというものがある。これではムチャクチャである。

 

高島ほどの碩学ではなくても、ある程度漢字や漢文についての素養のある人にとっては、こうした問題は無視してよいものではないのだろう、と思います。しかし、私自身や、漢字検定に合格することをめざして勉強に励んでいる人の多くは、「方に」と書かれているのを見て、「「かたに」? 「ほうに」? なんだそりゃ」というようなレヴェルでしょう。そのようなレヴェルの者に必要なのは、とにかく「方に」と書いて「まさに」と読む場合があるということを学ぶことであり、そのような言い回しのニュアンスやそれが用いられる適切な状況、使いどころなどを知ることは、とりあえずは重要な問題ではないように思います。

 

高島は、「こんな愚問ぞろいの検定試験を受けて、できたのできなかったのと一喜一憂している人の程度の低さもわかる」*11と述べていました。もし、仮にですが、私のようなレヴェルの者のことを「程度が低い」と言うのだとすれば、「程度が低い」のは事実なのですから、その通りだと言うほかありません。とはいえ、誰であろうと「程度が低い」段階を通ってきたに違いないのですから、そのことを恥じるつもりもありません。

 

受験英語にしても漢字検定にしても、要はそれらが登った後に捨てられるべきハシゴだということを心に留めておけばよいのではないでしょうか。

 

ちなみに、毒舌ということにかけては高島や酒井に勝るとも劣らない関口存男はドイツ語文法の学習書の中で、「Schnee(雪)は、英語のsnowに相当する語で、[シュネー]と発音します」*12といった具合に、発音をカタカナで表記しているのですが、もちろん厳密に言えばドイツ語のSchneeの発音と、日本語の[シュネー]という発音は、同じではありません。このことについて、関口は次のように述べています。

 

CD付 関口・初等ドイツ語講座〈上巻〉

CD付 関口・初等ドイツ語講座〈上巻〉

 

 

また、発音の初歩を書物で習う人たちが、そう細かいところまで心配しだした日には際限がありません。そんな厄介なことは、いずれまた先へ行って、ドイツ人の発音を直接聞くような機会でも生じた際に、また改めて注意して訂正したほうがよろしい。そんな事を、書物の上で、そもそもの出発点からいやにやかましく説いたり説かれたりする著者や読者があったとすれば、それは両方とも低能児の寄り合いで、著者も彼が何を教えなければならないかを忘れており、読者も彼が何を習うべきかを忘れている、と言わなければなりますまい*13

 

言うまでもありませんが、このように述べたからと言って、漢字検定の問題が、高島から批判されるような状態のままでよいと考えているわけではありません。漢字検定にせよ受験英語にせよ、適切とは言えない問題が出題されたことに対して、漢字や英語に関する深い教養を持つ識者からの批判がなされることは望ましいことです。

 

なお、ここで取り上げた高島の漢字検定批判の文章が発表されたのは2009年のことのようです。『漢字と日本人』(文春新書)などの著書もある高島の名前は、多少とも漢字に関心のある人の間では広く知られているので、漢字検定の主催者も高島の批判のあることは当然知っているはずです。彼らがこの批判を知って、問題の見直しをおこなったのかどうかは知りませんが、あまりにひどいデタラメはなくなっていることを願っています。

 

*1:高島俊男漢字検定のアホらしさ お言葉ですが…別巻3』(連合出版、2015年)13頁

*2:高島『漢字検定のアホらしさ』26頁

*3:高島『漢字検定のアホらしさ』26頁

*4:酒井邦秀『どうして英語が使えない?―「学校英語」につける薬』(ちくま学芸文庫、1996年)147頁

*5:酒井『どうして英語が使えない?』148-149頁

*6:酒井『どうして英語が使えない?』149頁

*7:酒井『どうして英語が使えない?』148-149頁

*8:酒井『どうして英語が使えない?』152頁

*9:鈴木長十・伊藤和夫編『新・基本英文700選』(駿台文庫、2002年)108-109頁

*10:酒井『どうして英語が使えない?』153頁

*11:高島『漢字検定のアホらしさ』13頁

*12:関口存男生誕100周年記念著作集ドイツ語学編9 改訂標準初等ドイツ語講座』(1994年、三修社)9頁

*13:関口存男生誕100周年記念著作集ドイツ語学編9』9-10頁