竹田青嗣の現象学と欲望論を読み解く (7)

前回、竹田欲望論と岸田唯幻論の違いについて検討をおこなったところで、あくまでも「意識の水面」に定位しようとする竹田の立場が、現象学に対して繰り返し投げかけられてきた「先構成批判」に対する竹田の反批判にも通じているのではないかと述べておきました。このことを手がかりに、竹田のポストモダン思想に対する批判に含まれている問題のごく大まかな見取り図を描いてみたいのですが、それに先立ち、今回はもう少し具体的な場面に考察の対象を絞り込んでおきたいと思います。

 

まずは前回に続いて、竹田欲望論の立場からの岸田唯幻論に対する批判を、もう少し見ておくことにします。

 

 たとえば岸田秀も『幻想の未来』で、人間の欲望は「他人の欲望の模倣」だと言っている(ラカンもそう言う)。だがそれは、人間は欲望の定まった通路を、「本能」の形ではあらかじめ持っていないから、多くの場合それをまず母親という他者に見習って形成するという意味だ。青年の欲望も、他者が示してくる“範型”によって、その形式性を得る。つまり一切の欲望は、必ずその方向づけのモデルを必要とするということを、岸田秀は言おうとしているのである。
 だが、およそ欲望はその形式性を社会的に(後天的に)習得する、ということと、欲望の主観的性格とは、全く別の問題である。
 欲望は、外在的に言えば必ず「他者の欲望の模倣」であり、その意味では「構成」されたものでしかない。だが、内在的(超越論的)に言えば、それは必ず、他人の欲望ととり換えのきかない、〈私〉に固有のものなのだ*1

 

ここでは「構成」という言葉が使われていますが、こうした竹田の基本的な主張は、現象学に向けられてきた「先構成批判」に対する竹田の反批判にも一貫して見られるものだと言うことができます。先構成批判とは、意識の内において見いだされる確信が、私たちのさまざまな世界体験ないし世界認識の「底板」になっているという現象学の立場に繰り返し向けられてきた批判で、そうした意識の内に見いだされる確信に先だって、それを構成しているはずの深層心理的な条件や歴史的・社会的な条件があるのではないか、というものです。これに対して竹田は、そのような批判は「外在的」な視点からなされたものにすぎないと切り返します。そして彼は、そうした批判者たちの私的が妥当性を持つということも、意識の内における確信という「内在的」な直観に基づいているはずだと反論します。

 

竹田はこの後、外在的な視点から私たちの欲望が社会において「構成」されたものだということを指摘する岸田やラカン、あるいはジラールといった思想家たちを批判して、フッサールを引用しながらその主張を次のように敷衍しています。

 

フッサールの言い方をわたしたちは、いまたどってきたような文脈にひきよせて、こう受け取ればいい。
 実在論や経験論は具体的な世界がまずある、そして人間の夢はその反映だ、と言う。しかしわたしたちの常識からは驚くべきことだが、じつは、誰にとっても、リアルな世界認識がまずはじめにあって、その影絵のようにロマンの世界ができ上がるのではない。むしろロマン的世界への憧れがまず形づくられ、この欲望の形が人間の世界体験(世界認識を含む)を可能にしていると考えたほうがいい、と*2

 

竹田が、みずからの現象学・欲望論を応用することで突っ込んだ考察を重ねているテーマの一つに、「恋愛」があります。彼は、前回参照した『エロスの世界像』(講談社学術文庫)や『恋愛論』(ちくま学芸文庫)といった著作で、このテーマに取り組んでいるのですが、ここで注目したいのは、その中で彼が「本来の想世界」や「内部生命」に生きることを高らかに謳い上げた北村透谷に、好意的な言及をおこなっているということです。たとえば、透谷の「厭世詩家と女性」という文章の中の、次のような一節が参照されています。

 

春心の勃発すると同時に恋愛を生ずると言ふは、古来、似非小説家の人生を卑しみて己れの卑陋なる理想の中に縮少したる毒弊なり、恋愛豈単純なる思慕ならんや、想世界と実世界との争戦より想世界の敗将をして立籠らしむる牙城となるは、即ち恋愛なり*3

 

透谷のこの文について、竹田は次のように説明をおこなっています。

 

 恋愛とは「春心の勃発」にすぎないというのは古くからの俗見だ。恋愛の本質は単なる肉体的な引きつけ合いではなく、人間の内的世界の「ほんとう」や「真実」と深くかかわるものだ。これが透谷の直観なのだが、プラトンや透谷の恋愛観を単に「精神的愛」を強調する「プラトニズム」と考えるのはあまりにも素朴であって、そこで重要なのはあくまで恋愛という情熱の「本質」は何かという問いなのである(今日、この透谷の洞察をもう一度逆さにした考え方、恋愛などというのは近代以後作りあげられたロマンチックな観念にすぎず、かつては色恋しかなかった、という言い方が流行しているが、もちろんこちらが古くからある俗流の恋愛観であり、透谷の洞察の方が本質的であることはいうまでもない)*4

 

ここで竹田が批判的に言及しているのは、「ロマンティック・ラヴ・イデオロギー」という言葉で広く知られるようになった考え方です。前近代の日本には「恋愛」という概念はなく、「色恋」だけが存在していました。ところが、12世紀のヨーロッパで騎士道精神によって発明された「恋愛」という概念が、キリスト教とともに日本にもたらされました。その後「恋愛」は、遊郭文化を中心にして育まれてきたそれまでの「色好み」や「粋」とは異なり、男女の間の純粋で崇高な精神性に基づく営みであり、透谷らはそれを「近代的自我」にとって決して譲り渡すことのできないものとして称揚しました。現代では、近代という時代においてこうした「恋愛」という観念が形成されていった過程が明らかにされるとともに、それに対する批判がさかんになされていますが、竹田はこうした外在的な視点から「恋愛」を批判的に見直そうとする現代の思想家たちに抗して、透谷の立場を擁護しようとしているのです。

 

ところで、小谷野敦はこうした考えを「恋愛輸入品説」と呼んで、主として実証的な観点から繰り返し批判をおこなっています。以下では、彼の議論を参照しながら、もう少し現代における「恋愛」論の中身に立ち入ってみることにします。

 

男であることの困難―恋愛・日本・ジェンダー

男であることの困難―恋愛・日本・ジェンダー

 

 

小谷野は「恋愛輸入品説」の始まりを、フランス文学者の新倉俊一に求めています*5が、それが広く流布するようになったのは、1980年頃に柳父章の『翻訳語成立事情』(岩波新書)や柄谷行人の『日本近代文学の起源』(講談社文芸文庫)以降のことだとしています*6。そこで参照されているのが、柄谷の次のような文章です。

 

日本近代文学の起源 原本 (講談社文芸文庫)

日本近代文学の起源 原本 (講談社文芸文庫)

 

 

しかし、透谷がいう「恋愛」はけっして自然なものではない。たしかに「粋」は不自然だが、「恋愛」もまた同じである。古代日本人に「恋」はあったが恋愛はなかった。同じように、古代ギリシャ人もローマ人も「恋愛」を知らなかった。なぜなら、「恋愛」は西ヨーロッパに発生した観念だからである。ドニ・ド・ルージュモンが『西欧と愛』のなかでいっていることはやや疑わしいが、確実なのは、西欧の「情熱恋愛」がたとえ反キリスト教的なものであっても、キリスト教のなかでこそ発生しえた「病気」だということである*7

 

また上野千鶴子も、透谷によってもたらされた近代的な「恋愛」の中に潜む抑圧的な性格を指摘しています。

 

発情装置 新版 (岩波現代文庫)

発情装置 新版 (岩波現代文庫)

 

 

 「恋愛」を「精神的」なものとして「観念」化することによって、透谷はたしかに「恋」と「情欲」がわかちがたい江戸期までの恋愛観を超克し、近代的な恋愛観をうちたてたと見なされている。だが「観念」としての「恋愛」は、その成立のはじめから、男の側のひとりよがりだったのである。この男仕立ての「恋愛」観が、近代の疫病のごとくはびこった結果、この観念を「共演」してしまった不幸な女たちもまた存在した。たとえば高村光太郎の妻、智恵子は、光太郎に「美神」として奉られ、その役割を引き受けることで「無垢」の闇の中に追いやられた。黒澤亜里子は『女の首』のなかで、男の観念の餌食となった女性の不幸を鋭く衝いている*8

 

こうしたフェミニズムの方から上げられた告発の声の高まりを受けて、竹田は控えめながらも何度か反論をおこなっています。たとえば上野に対して、「最近ちょっと鼻白んだのは、上野千鶴子などを代表とする、「ネオ・マルクス主義フェミニズム」とかいう新種の女性論議である」*9と述べています。

 

上野に代表されるフェミニズムの主張には、ある強固なイメージが付きまとっていると竹田は言います。そのイメージとは、「世の女性は、根本的に歪んだ大きな制度(男権制)の中に閉じ込められているために、みじめな欲望とみじめな生しかつかむことができない」*10というものです。このように指摘した上で、竹田は次のような議論を展開します。

 

世の中にすでに作りあげられている制度(人間の生き方の道すじ)は、いつの時代でもある意味で確かにひとつの制限、枠組みである。だがこの生き方の枠組みはまた、いつの時代でも、人間がその中で生の欲望をつかむための現実的な理由でもある。ひとりの女性が男との生活のために家を作り、子に夢を託すことに幸せを求めることを、そのまま誤った欲望とは言えない。ただ、さまざまな事情が彼女の夢を失調させ、なおこの枠組みが彼女を縛りつけるように現われたとき、はじめてその枠組みは、「悪しき制度」という形で意識される。そのときはじめて女性は、この制度(世間の目)に抗って生きることに、新たな生の理由を見出す*11

 

フェミニズムは、現在の男女の関係を規定しているさまざまな「制度」は歴史的な所産にすぎないということを明らかにしてきました。しかし、それらが「作られた」ものにすぎないという指摘は、ただちにそれらが不当なものであり廃棄されなければならないということを意味するわけではありません。近代的な「恋愛」の観念が、ある時代に作られ、それが今なお私たちの生き方を強固に規定しているという「外在的」な視点からの指摘は、それがどれほど正しいものであったとしても、私たちがある人に想いを寄せたり、振り向いてもらいたいと願ったり、あるいはひどく心を傷つけられたりといった、「内在的」に直観されるエロス的な情熱を無意味なものとしてしまうことはありません。

 

言うまでもなく、この社会に存する特定の「制度」が、私たちの多くの主観的確信において理不尽で差別的なものと直観されるとき、それを告発するフェミニストの主張は、私たちの「内在的」な確信において妥当なものとして認められるはずです。このとき、フェミニズムからの告発は、この社会における人々の関係のあり方を変えていく現実的な力へと育っていくに違いありません。しかしその場合でも、私たちはみずからの内に直観される確信が「底板」となっているという竹田の基本的な主張は依然として成り立っているはずだと考えることができるでしょう。

 

さて、ここまで私たちは、できるだけ竹田自身の基本的な主張に沿うように努めながら、彼の議論を確認してきました。ポストモダン思想に対する竹田の批判にも、これと同様の議論が見出だされるのですが、まずは具体的な場面に即して、こうした竹田の基本的な主張に対して私が抱いている疑問の在り処を指し示してみたいと考えています。

 

しかしその前にもう少しだけ寄り道をして、竹田と同じく実存の立場を拠点にしながらさまざまな領域でアクチュアルな思想を展開している小浜逸郎の議論を紹介しておきます。私の見るところでは、小浜の議論には竹田現象学に対して私の抱いている疑問点が、いっそう明瞭な形で示されているように思われるからです。

 

小浜の思想は、竹田のようにフッサールハイデガーといった特定の哲学者の思想について検討をおこないながら独自の思想を紡ぎだしていくというスタイルを取らず、私たちの生きる社会の中の具体的な問題を手がかりにしながら展開されているように見えます。ただし『エロス身体論』(平凡社新書、2004年)という著作では、彼の思想の理論的な中軸をなしているものに、議論の焦点が向けられているように思われます。この著作の中で小浜は、ハイデガーの「世界内存在」の実存哲学的な側面を切り出してきたような主張を展開しています。

 

エロス身体論 (平凡社新書)

エロス身体論 (平凡社新書)

 

 

そもそも世界が私にとってどのようでありうるか、また私が世界にとってどのようでありうるかを私自身にそのつど画定させるのは、私の「気遣い」「配慮」「関心」(独:Sorge 英:care)である。この場合、「気遣い」「配慮」「関心」といった言葉は、単に意識的な「注意」というような純心理学的な要素と考えられてはならない。それは、身体と心とにいまだはっきりと分節され得ない全心身の、世界への素朴な向き合い方そのものを意味する*12

 

ここでは、小浜のこうした主張について踏み込んだ考察をおこなうことは控え、彼が竹田同様、実存的な場所にみずからの思想的な立脚点を見いだそうとしていることを確認して、先を急ぐことにします。

 

さて、小浜はこうした立場から、フェミニズムに対する厳しい批判を展開します。たとえば『男はどこにいるのか』(ポット出版、2007年)という著書で彼は、確かに女性解放運動は、男女の間の法的・社会的な平等を実現するための制度改革を実現に導いてきたとひとまず肯定的に評価した上で、次のような疑問を記しています。ところが、こうした運動の結果、社会の中から目に見える差別が撤廃されていき、いまだ不十分なところを残しているとはいえ、男女の平等がある程度まで実現されてくるようになると、今度は日常的な人々の意識の中に知らず知らずのうちに入り込んでいる隠れた性差別を発見することにフェミニズムの関心が移っていきます。そして、「ここらあたりから、フェミニズムはなんとなく少し無理をしているような感じがつきまとう」*13と小浜は言い、批判を開始します。

 

男はどこにいるのか

男はどこにいるのか

 

 

私たちは、この社会のさまざまなところに、固定化された性差のイメージを反復・強化するような事例を発見することができます。たとえば、「航空会社のポスターにおいて、きれいな若い女性を、腹のでた禿頭の中年男性よりもモデルに選ぶ確率が圧倒的に高い」*14という例を取り上げて、そこに「見る」男に対して「見られる」女という、性的魅力の社会的な意味の非対称性が存在していると主張することは可能でしょう。じじつフェミニズムには、こうしたミクロな権力装置が現代の社会の抑圧的な構造を再生産することになっていると告発する議論が見られます。

 

しかし小浜は、このような非対称性は単に男性の一方的な性欲に訴えているのではなく、現実の中で男女双方が承認しつつ参加している「私たちのエロス的な非対称的磁場のあり方」*15に根差していると主張します。

 

「見られる」という受動は、実は「見せる」という能動である。女性の自己客体化の欲望は、それがいかに歴史的構造のなかで仕組まれたものであろうと、主体によって選ばれた能動的意志的な行為であることには変わりがないのだ。それでなければ、自分のなかに他者を引きつける美を何ほどか実感できたとき、どうしてある自由と喜びの感覚をわがものとすることができようか*16

 

だから、それがたとえ人々の性にまつわる意識の非対称性を再生産し続けるような装置の役割を果たしているからと言って、ただちにそれを排するべきだという結論づけることはできないと彼は考えます*17。もし仮に、その広告が男性の大多数にとっては快を感じさせるものでありながら、女性の大多数にとって不快であるような表現だったとすれば、その広告は時を置かずして撤去されることになるでしょうが、それは単にその広告が失敗したというにすぎません。

 

私たちの日常の中に入り込んでいる男女の非対称性を告発するフェミニズムの議論は、人々の生活感情の中に働いているはずのエロス性を、思想の内に繰り込んでいないと小浜は批判しています。広告などに見られる男女の非対称性を指摘しそれを告発する論者たちは、「平等」という抽象的な理念のみに基づいて、非対称性を容認することはできないと主張しているにすぎないのです。そのため、「結局ごく普通の両性は、いったいあれは何を争っているのだと戸惑うばかりで、「いいじゃないの、幸せならば」という冷ややかな視線を返すしかないのである」*18と小浜は述べています。

 

性について論じるのであれば、たとえば広告表現における性の非対称性を、理念的な観念の操作によって告発するのではなく、個別的な経験において感得されたみずからのエロス的な心の動きを内側からたどっていくことで、その内実を思想へと鍛え上げていくのでなければなりません。「たとえば自分がきれいだといわれてこころ浮き浮きしたこととか、他人の美貌や才能や境遇を羨ましく感じたこととか、さらにそのような感得によって、あるときは自分の欲望を一つの方向に伸長させたり、あるときは断念によって自分を組織しなおしたりして自分の過去をかたちづくってきたこと」*19といった具体的で個別的な経験の中に思想の立脚点を求めるべきだと、小浜は主張します。

 

こうした小浜の立場が、竹田の立場に極めて近いことは明らかでしょう*20。そこで次回は、小浜のフェミニズムに対する批判を手がかりにすることで、こうした主張の中に潜んでいる問題点を探ってみたいと思います。

 

*1:竹田青嗣『陽水の快楽―井上陽水論』(河出書房新社、1986年)32頁

*2:竹田『陽水の快楽』36頁

*3:『日本文学全集1 坪内逍遥 二葉亭四迷 北村透谷集』(筑摩書房、1970年)429頁

*4:竹田青嗣プラトン入門』(ちくま学芸文庫、2015年)227-228頁

*5:小谷野敦『男であることの困難―恋愛・日本・ジェンダー』(新曜社、1997年)14頁参照

*6:さらに小谷野は、佐伯順子の『「色」と「恋」の比較文化史』(岩波書店)によって、「恋愛輸入品説」は一種の「流行」にまでなったと言います。この書の中で佐伯は、前近代の日本には自由な性愛の世界が存在していたと主張しており、小谷野がこれを「江戸幻想」と読んで繰り返し批判していることも、今では広く知られていると言ってよいでしょう。小谷野は「江戸幻想」の発生を、田中優子の『江戸の想像力』(ちくま学芸文庫、1986年)と佐伯順子の『遊女の文化史』(中公新書、1987年)に求め、佐伯の著書は柳田國男の中世以前の「遊女」に関する議論を近世の「女郎」にまで敷衍したもので、「中世以前の遊女が持っていたとされる巫女性を近世の遊郭にまで持ち込むのは強引」(小谷野敦江戸幻想批判―「江戸の性愛」礼賛論を撃つ』(新曜社、1999年)37-38頁)だと批判しています。さらに小谷野によれば、フェミニズムは当初佐伯の著書に対して批判的でしたが、売春を男による女の搾取として批判する立場から、「性の自己決定権」を認め自由意志によって売春をおこなう女性の労働者としての権利を保護していくべきだという主張が大きくなっていき、近代の抑圧的な「恋愛」を批判しつつ近世における性の自由を称揚する言説が主流的になっていきます。小谷野は、上野千鶴子をはじめとするフェミニズムの論者たちの中から「江戸幻想」に積極的に加担する主張が登場するようになり、「近世の日本には正の抑圧がなかった」という「江戸幻想」がいっそう広まることになったと言います。言うまでもなく、小谷野の「江戸幻想」や「恋愛輸入品説」に対する批判は、歴史的事実を正確に踏まえた上でそれぞれの時代や文化における性愛の実相を評価するべきだというものであり、哲学的な観点からなされる竹田の「恋愛輸入品説」への批判とはまったく異なる観点に立つものです。

*7:柄谷行人日本近代文学の起源』(講談社文芸文庫、1979年)106-107頁

*8:上野千鶴子『発情装置―エロスのシナリオ』(筑摩書房、1998年)111頁

*9:竹田青嗣コレクション2 恋愛というテクスト』253頁

*10:竹田青嗣コレクション2 恋愛というテクスト』254-255頁

*11:竹田青嗣コレクション2 恋愛というテクスト』255頁

*12:小浜逸郎『エロス身体論』(平凡社新書、2004年)72頁

*13:小浜逸郎『男はどこにいるのか』(ポット出版、2007年)32頁

*14:小浜『男はどこにいるのか』88頁

*15:小浜『男はどこにいるのか』89頁

*16:小浜『男はどこにいるのか』166頁

*17:小浜は別のところで、「女の子は男の子に比べて一般的にエロス的な意味でませているから、すでに三、四歳の頃から、自分が周囲にどのように見られているかということをたいへん気にする」(小浜『エロス身体論』143頁)と述べています。その上で、竹田と同様、ヘーゲルの『精神現象学』における意識の発展の過程を、私たち人間の実存的なあり方の発展過程として捉えなおしながら、「人間にとって根源的なものは、ヘーゲルがとらえたように、自分を他者とかかわらせることを通して、他者に自分の存在を承認してもらい、そのことによって、自分がいま・ここにあることをみずから肯定したいという欲求なのである」(小浜『エロス身体論』149頁)と主張します。

*18:小浜『男はどこにいるのか』34頁

*19:小浜『男はどこにいるのか』96-97頁

*20:竹田は小浜との対談の中で、「男女の性差は、力や能力の差異だとか、お金を持っている持っていないという差異だとかとは違うところがあって、その肝心なポイントは、それが人間のエロス性の根源、源泉になっている、ということだと思います」(竹田青嗣小浜逸郎『力への思想』(學藝書林、1994年)143-144頁)と述べています。この発言を受けて小浜は、次のようにみずからの主張を語っています。「竹田さんは、性差の存在がエロス関係の根源だと言われたのですが、それはまったくそのとおりで、普通の女性が自分が〈女性〉であるということ、つまり〈男性〉との再関係として〈女性〉であるということを、自分が生きるということの最も深いアイデンティティにしている、そのことは否定できないわけです。つまり、自分が〈女性〉であるということで、場合によっては、男性の視線を浴びることで不幸な関係に陥ることがあるかもしれない。だけれども、別にその〈違い〉から這いあがろうと全然思わずに、その〈違い〉そのものに生の意味を見出し、自分の〈女性〉としての人生を設計していこうと感じている、感じるだけでなく、まさにそういうように生きている多くの女性がいるということ、ここだけは覆すことができないと思います」(竹田・小浜『力への思想』147頁)。また竹田も、こうした小浜の実存的な立場に近いところから、次のように主張しています。「ひょっとしたら、性差をなくそうと思ったら、なくせるのかもしれない。ただ、現実に生きている人間の生の条件にとって、そのことがどういう意味をもたらすかということをよく考える必要があるわけです」(竹田・小浜『力への思想』160頁)。