川上弘美『物語が、始まる』を読む

川上弘美の「物語が、始まる」という短編小説を読みました。

 

物語が、始まる (中公文庫)

物語が、始まる (中公文庫)

 

 

文庫版のカバー裏には、「公園の砂場で拾った〈雛型〉との不思議なラブ・ストーリー」という説明があります。確かに、この小説は一編の「ラヴ・ストーリー」であるように見えます。まずは、そのストーリーを簡単に紹介してみましょう。

 

ある日、ヒロインが一人の男性と出会います。初めから彼の魅力に気づいたのではなく、むしろ茫漠とした、とらえどころのない男性という印象だったのですが、2人だけで過ごす時間が積み重なっていくうちに、彼といっしょにいると居心地の良さを感じるようになっていきます。

 

さて、彼女には長く付き合っている恋人がいました。そしてある日、彼女は恋人から結婚してほしいとプロポーズされます。しかし彼女は、恋人の申し出を受け入れることはできず、その話は来年まで引き延ばすことにしようと言います。彼女の心の中では、もう一人の男性が少しずつ大きな場所を占めるようになっていたのです。

 

それでも彼女は恋人との関係は維持し、一方でもう一人の男性とも、これまでと同じような親しい関係を続けていきます。しかし、最初はとらえどころのなかった男性は、確実に彼女の心を揺さぶり、ときに翻弄します。いつしか彼女は、2人の関係が一線を越えるのではないかと期待するようになっていました。そして彼女は、恋人と別れることになります。

 

こうして彼女は、もう一人の男性を選ぶことになります。しかし、そんな2人の関係が終わる時が、少しずつ近づいてきていたのです。そのことに気づいた彼女は、2人でこれまで過ごした時間のことを語り合い、残された時間を慈しむようにして日々を送ります。やがて、彼は彼女のもとから去っていき、彼女は彼の思い出を懐かしみます。

 

拙い要約ではありますが、「物語が、始まる」のあらすじをまとめてみました。おそらく、こうしたあらすじを持つ物語のことを、私たちはためらうことなく「ラヴ・ストーリー」と呼ぶはずだと思われます。

 

しかし、この「物語が、始まる」という小説は、ただの「ラヴ・ストーリー」ではなく、奇妙な設定を持っています。その冒頭は、次のような言葉で始まっています。

 

 雛型を手に入れた。何の雛型かというと、いろいろ言い方はあるが、簡単に言ってしまえば、男の雛型である。
 生きている。
 大きさは一メートルほど、顔や手や足や性器などの器官はすべて揃っている。声も出す。本が読め、簡単な文章が書け、サッカーのルールは知らないがボールを蹴ることはできる、というくらいの運動能力がある。子供の背丈だが、顔つきは子供ではない。かといって、大人でもない。どちらともつかぬ、雛型らしい顔つきとしか言いようのない、中途半端な顔つきである*1

 

ヒロインの山田ゆき子は、ある日公園の砂場で「男の雛型」を拾います。人間社会のルールを知らない雛型に、彼女は『あおくんときいろちゃん』や『アレクサンダーとぜんまいねずみ』といった本を読み聞かせ、「三郎」という名前を与えます。

 

 雛型は、もう雛型ではなくなり、男になってしまった。奥まった目の、考え深そうな表情の、若い男になったのである。〔中略〕
もう雛型ではなくなったので、三郎という名前をつけた。
「三郎」と呼ぶと、
「はい」と答える。
 それが最初は面白く、暇をみては「三郎」と呼びかけたが、何回でも「はい」と言われると、少し嫌な気分になった。
「はい、じゃない返事がいいな」と言うと、三郎はしばらく考えた。
 考える三郎の横顔は、青白くつるつるしていた。触ってみたい、と思ったが、名前を持ってしまった三郎を今までのようにためらいなく触るのは、なんとなく憚られた。
「では、もう一度読んでください」三郎は言った。
「三郎」
「うん」
 私と三郎は顔を見合せた。しばらく黙っていたが、どちらかともなく笑い出した*2

 

最初は、ぎこちない会話しか交わすことのできなかった三郎ですが、それでも少しずつ彼女に対する行為を口にするようになります。

 

「ゆき子さん、僕はこれが初めてではないんです」三郎が言った。
「初めてって?」
 三郎の言うにはつまり、雛型というものは、栄養を与えなければ数週間で原始的な雛型に戻ってしまうものであるから、雛型に飽いた人間は押入れなり物置なりに雛型をしまって最初の一メートル強の形に戻し、戻ったところを見計らって適当な場所に捨てるものであり、そのような繰り返しを自分は今まで数十回行った、ということなのであった。
「ふんふん」
「記憶はあるのです」
 ほんとうだろうか。しかし拾われた当時は、ろくにものを喋れなかったではないか。
「喋れなくとも記憶はあるのです」
 三郎は、たぶん嘘をついている。なぜ嘘をつくのか、私にはわからなかった。ただ、嘘をつけるようになったことに、ひどく感心した。
「それじゃ、この前はどんな人に育てられたの」
「女の人でした」
「それはよかったわ」
「ゆき子さんとは違う人でした」
「あたりまえでしょ」
「ゆき子さんの方が僕は好きです」
 雛型は、私の手を握った。再び感心した。
「三郎」
「うん」
「でもね、もう少し練った方がいいと思うわよ」
「え」
「会話をね、その進め方はあんまり感心しないわ」
 三郎はぱっと赤面した*3

 

しかし、次の日には三郎は、新たな手段を試みて、彼女の心を揺り動かそうとします。

 

「ゆき子さんは、近松などは好きですか」
「ゆき子さんは、キリスト教でいう原罪についてどう思いますか」
「ゆき子さんは、上手な半熟卵の作り方を知っていますか」
 翌日、三郎は急にどうでもいいような質問をはじめた。以前と違って、私たちは質問をする者とそれに応える者の関係ではなくなっていたので、質問に丁寧に答えることは、苦痛だった。
「で、そういうことを知って、どうするの」私の口調は少し苛々していたかも知れない。しかし、三郎は頓着しなかった。
「僕はゆき子さんのことを知りたいんです」
〔中略〕
「そんな人間は、好かれないわよ」私は言ってみた。
「え」
「そんな内容のことで私を知ったと思うような人間を、私は好きにならないわよ」
 いかにも意地悪な口調であり、その上私は少しばかり楽しんでいた。
「ゆき子さん」三郎は目を細めて言った。
「何よ」
「僕は別にあなたに好かれようなんて思っていませんよ」
 掬われた。まあ当然だろう。他愛ない表面だった意地悪には、そのくらいの風当りがあるものだ。
「ふーん、なんだかつまらないなあ」私は言ってみた。すると、三郎は目を細めたまま、こう言ったのである。
「僕がゆき子さんを好いているだけで必要十分ではありませんか、そうは思いませんか」
 少し参った。これはあなどれない、初めて思った*4

 

さて、彼女には本城さんという恋人がいるのですが、ある日彼女はふと、本城さんに三郎と会わせてみようと思いつきます。

 

 本城さんが、来た。突然来たわけでもなく、実は私が誘ったのであるが、誘っておきながら最後まで三郎のことを説明していなかった。説明できなかったということもあるのだが、前置きなしに三郎と会った時の本城さんの反応を見てみたいといういやらしい願いが自分の奥底にあることも、わかっていた*5

 

しかし三郎は、そんな彼女の気持ちを見抜いていたのです。

 

 三郎は正面を向いて立ったまま、私たちの会話をじっと聞いていた。雛型のふりをしているので、耳をそばだてているようには見えないのだが、私にはそれがはっきりとわかった。背中を向けている三郎は、たぶん正面では笑っていた*6

 

そして、本城さんが帰った後、彼女と三郎との間で、次のようなやりとりが交わされます。

 

「本城さんのこと、どう思った?」試しに聞いてみる。
「どうも思わない」
「……」
「雛型は、わりと柔軟性がないんだよ、すでに刷り込みされた人間に対してならいくらでも対応できるんだけど、それ以外の人間は人間と思わない傾向がある」三郎は説明した。
 本当だろうか。嘘かもしれない。どちらでもいいのだが。
 私は三郎のことを頭から追いやって、本城さんのことだけを考えはじめた。すると、三郎は私の膝に乗ってきた。
「どきなさいっ」怒鳴った。少し腹が立っていた。
「だめだよ、今頃になって本城さんのことを考えても」
 ほんとうに腹が立った。三郎の頬を打った。三郎はうふふふというような声をたてて、膝から下りた。
 そのまま三郎は部屋の隅に行き、寝そべった。私は本城さんの部屋の電話番号を回したが、呼び出し音が三回鳴ったところで、切った。それから三郎の前に立ちはだかり、できるだけ落ち着いた表情で睨みつけた。威圧しているつもりだった。
「ゆき子さん」三郎が言った。私は何も答えず、睨み続けた。
「それじゃあ」そう言って三郎は私の足をすくい、転ばせて馬乗りになった。
「キスするよ」三郎はそう言って私にキスした。非常に上手なキスだった。されながら、私は次はどうするのだろう」と落ちついて考えていた。上手だったので、落ちついたのかもしれなかった。
「次はもう何もしないよ」三郎は私の考えていることが聞こえたかのように、言った。
「今日はここまで」*7

 

もはや彼女と三郎の関係は、以前のように彼女が一方的に三郎の世話をするというものではなくなっていたのです。そして、それに伴い彼女と本城さんの間に溝が生まれることになります。

 

 本城さんと、少しばかり言い争った。
 そばつゆが原因だった。
「そばつゆは醤油が勝ったものの方がすぐれているんだよ」
「いいえ、だしの味が濃い方がいいんだわ」
 そんなやりとりを、私たちはしたのだった。
 初めてのいい争いだった。そばつゆは鍋につながり、鍋は台所につながり、台所は母親につながり、母親は価値観につながり、価値観は三郎につながる。私たちはそばつゆの争いをしながら、ずっしりと三郎を背中にしょっているのであった。
「そんなにだしの濃さにこだわる君は、正当でない感じがするよ」本城さんが言う。
「私が正当だったことなんて、今までに一回もないわよ」
「そうかもしれないなあ」
「え」
 私たちは顔を見合わせ、笑いだす寸前まで行くが、しかし笑いだすことはできないのである。
「君は変化したのかなあ」本城さんが、考え深そうに言う。
「知りません」困ります、の口調で言おうとするが、違った口調になってしまう。
「君は変化したくなったのかもしれないねえ」ますます考え深そうだ。
「知りません」今度は、あきらかな反抗の口調である。
「ほうほう」
 本城さんは、絶対にその名前を口にしないのである。私と本城さんの間に音もなく降り積もる灰のような「雛型」、という堆積についている、「三郎」という名前を*8

 

けっきょく、2人の関係は修復されることなく、むしろ隔たりは広がり続けてついに破局を迎えます。そして彼女は、三郎との生活を続けていきます。

 

「僕たちは、どうなるんだろうね」ときどき三郎は言った。
「さあね」
「ずっとこのままかな」
「だといいけれど」
「偕老同穴っていう言葉、知ってる?」
「なに、それ、もしかして結婚式でよく聞くやつ?」
 三郎はたまに年寄りじみた言葉を使う。本で知識を得た雛型特有の現象なのだろう。
「共白髪って、じゃあ知ってる?」
「いやだあ」
 三郎は、まじめな顔をして、洗濯ものをたたんでいた。ていねいにシャツの皺をのばしながら、世の中の悩みを全て通り過ぎてきたもののような考え深い顔をするので、私は大笑いした。
「まだ、始まったばかりなのよ、私たちは」
「でも、時間は無限にはないよ」
「それはそうだけれど」
 私は三郎の頭を、そっと撫でた。三郎は、頭を私の胸に当て、私の鼓動を聞いた。そうやっていると、三郎と私が一つに融合するような錯覚にとらわれた。もちろんそれはただの錯覚なのであったが、たいそう甘い錯覚では、あった*9

 

しかし、三郎がその寿命を終える時が近づいていることに、やがて彼女は気づいてしまいます。

 

 仕事から帰ると三郎がいた。「ああ疲れた」などと言って、ビールを飲んでいる。
 胸騒ぎがした。
 まじまじと三郎を見た。白髪が、数本ある。いつの間にできたのだろう。
「おかえり」三郎は身軽に立って、私の分のコップを出してくれる。机の上には、何かのてんぷらがのっていた。
「作ったんだよ、ゆき子も食べる?」三郎が聞いた。
 私は黙ってかぶりを振った。机の上には、てんぷらと、それに本が数冊置いてあった。本は、三郎が雛型だった時に大好きだった、小人が長い長い冒険をする話だった。私は身震いした。
「どうしたの、ゆき子」三郎が私の肩を叩く。
 あまりに唐突に思えた。しかし、こうなることが最初からわかっていたような気もした。
「ゆき子」もう一度三郎が言った。「泣いているよ、どうしたの」
 気がつくと、私は嗚咽をもらしていた。
 三郎が、古くなり始めているのだった*10

 

こうして、三郎は急速に老化していき、やがて小さくなって最後は元の雛型の姿へと戻っていきます。こうして、彼女と三郎の、奇妙な恋は終わりを告げることになります。一か月後に彼女は、雛型の姿に戻った三郎を運び出し、元の公園に置いてくることにします。そして、この小説は次のように締めくくられます。

 

 ハンカチをたたみながら、そういえば三郎に向かって「愛している」という言葉を一回も使ったことがなかったことを思い出した。
「愛するに至る前にいなくなっちゃったからかなあ」私は声に出して言ってみた。
 三郎の、ずっしりとした体感を鮮明に思い出し、少しの間くらくらとしたが、上を向くと昼の月が出ていて、その月を見ているうちに、自分が三郎を忘れはじめていることがわかってきた。
 これが、生きながらえるということなのかもしれない、と思いながら、もう一度三郎のことを思い出そうとしたが、すでに三郎は、物語の中のものになってしまっているのであった*11

 

さて、ここでようやく私たちは、「物語が、始まる」というこの小説のタイトルの意味を知ることになります。つまりこの作品は、まさに一編のラヴ・ストーリーが「始まる」までの経緯を描いていたのです。そして、ゆき子は三郎との別れを経て、この小説のラストにおいてようやく〈物語〉の始まりにたどり着いたのですから、本作に綴られているのは〈物語以前〉だと考えなければなりません。しかし、〈物語以前〉とは何なのでしょうか。それは、〈物語〉とどのように違うのでしょうか。

 

私たちがこれまでたどってきた、ゆき子と三郎にまつわる一連の叙述は、紛れもなく〈物語〉でしかないように見えます。それも、とびっきり甘くてせつない「ラヴ・ストーリー」のように見えるのです。「物語が、始まる」という作品は、そのラストに至ってようやく〈物語〉が始まるにも関わらず、私たちが読むことが出来るのは、すでに〈物語〉へと変貌を遂げてしまったテクストでしかないのです。

 

ゆき子は三郎を失うことで初めて、彼にまつわる〈物語〉をみずからの記憶のうちに所有するに至ります。三郎はもはや、彼女の記憶の中の〈物語〉の中にしか存在していません。「物語以前」の三郎は、その存在が抹消することで、〈物語〉の中で生き始めるようになったのです。あるいは、「ラヴ・ストーリー」とは、相手の存在を抹消することにおいて私たちが享受することになる物語のことだと言ってもよいでしょう。

 

この作品で、ヒロインのゆき子の恋の相手である三郎が人間ではなく、雛型という〈モノ〉であることは象徴的です。私たちはこの小説を読み進めていく中で、ちょっと幻想的な「ラヴ・ストーリー」の一種として読み解こうとするはずです。そしてこのとき、雛型は単なる〈モノ〉ではなく、「やがて三郎へと成長し、ヒロインの恋の相手となる雛型」となるのです。雛型という〈モノ〉は抹消され、「三郎」という名前を持つ〈物語〉の登場人物が、ヒロインの恋の相手にふさわしい仕方で振る舞うようになるのです。

 

人は社会的存在であると言われることがあります。私たちは、他者との関係の中に入って一定の役割を担うことで初めてその存在を認められることになります。こうした考え方によって本作を理解するならば、単なる〈モノ〉にすぎない雛型は、ヒロインとの〈関係〉の中で恋の相手という役割を割り振られることで、「ラヴ・ストーリー」の登場人物となったのだと言えるかもしれません。そして、こうした解釈をサポートするように思える文章も、本作の中に見出すことができるのも事実です。

 

 本城さんと私は、しばらく世間話をしてから丁寧に挨拶を交わした。私たちは、久しぶりに出会ったような疎遠な親戚のようにして別れた。かつて私たちの間に会った親しいようなあやういような空気は、すでになかった。その空気のないところで見る本城さんは、もう土曜日の本城さんではなかった。かといってかつての火曜日の本城さんや金曜日の本城さんとも違うのだった。本城さんはつまり、今まで私が知っていた本城さんとは異なったものに変化しているのであった。

 それでは、三郎もいつかは三郎ではないものに変化してしまうのだろうか。三郎が三郎ではないものに変化するとき、同時に私もわたしでないものに変化するのだろうか。そんなことを考えながら、私は歩いた*12

 

かつての恋人だった本城さんは、ゆき子と別れることで、彼女の恋人という役割から、疎遠な親戚のような役割へと変化したことが述べられています。

 

しかし、この小説が主題としているのは、これとは別のことなのではないかと思われます。たとえば、次の文章はどのように理解することができるでしょうか。

 

 三郎というものに関係した私。三郎は私に関係していても関係していなくても、三郎であるように見える。しかしそもそも私に関係していない三郎というものはあり得ないのである。さまざまな条件下に置いての私と三郎の位相的変化などというシミュレーションを行うことはどだい不可能であり、その上馬鹿馬鹿しい試みなので、考えそうになっても極力考えないようにするのであるが、なぜ三郎はときどき冷淡なのだろうかと思うとますます未熟になってしまって、くよくよくよくよくよくよくよくよと寝具を蹴散らしたりしまいには三郎に向かって「ばか」と言ってしまったりするのではあった*13

 

ここに述べられているのも、三郎がゆき子との関係において一定の役割を担っているという事態には違いありません。しかし、ここでゆき子が試みているのは、そうした〈役割以前〉の三郎、すなわち、彼女の〈物語〉の登場人物ではない三郎について考えてみることだと言ってよいでしょう。しかし、彼女の志向はどこにも焦点を結ぶことはありません。むしろ、そうした彼女の試みは、もし自分と出会うことがなければ恋人はどのような人生を歩んでいただろうかといった、「ラヴ・ストーリー」のヒロインにふさわしいような妄想に回収されてしまうほかないでしょう。結果として彼女は、三郎に向かって「ばか」と言ってしまうといった、「ラヴ・ストーリー」にありがちな振る舞いに帰着してしまうのです。

 

人は社会的存在であり、他者との関係を離れては存在しえないというのは、私たちの存在のありようを単なる事実として言い表わしているにすぎません。しかし、人が社会的存在だという理解もまた、社会的関係の中で規定されていることに目を向けるとき、それはもはや単なる事実の言明なのではなく、むしろ私たちの思考の可能性が一定の条件のうちに囲い込まれてしまっていることを、それ自体が証示していることに気づくはずです。『物語が、始まる』という作品は、そのような解釈を許すように思えます。

 

*1:川上弘美『物語が、始まる』(中公文庫、1999年)9頁

*2:川上『物語が、始まる』20-21頁

*3:川上『物語が、始まる』28-30頁

*4:川上『物語が、始まる』30-32頁

*5:川上『物語が、始まる』32頁

*6:川上『物語が、始まる』36頁

*7:川上『物語が、始まる』37-38頁

*8:川上『物語が、始まる』44-45頁

*9:川上『物語が、始まる』68-69頁

*10:川上『物語が、始まる』69-70頁

*11:川上『物語が、始まる』73-74頁

*12:川上『物語が、始まる』66-67頁

*13:川上『物語が、始まる』53頁